寿司職人養成学校に通うこと1年。にわか仕込みの技術で海外移住に挑戦中!

オーストラリア永住権への道

オーストラリア生活

人生を変えたオーストラリア交換留学

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3歳離れた兄が、高校生のときにオーストラリアのダーウィンにホームステイしました。

 

作文を書いて、面接で熱い想いを語ってっていう、学生時代たまにあるやつです。

 

海外なんて考えたこともなかった中学生の自分は兄が羨ましく、絶対高校に入ったら自分も!と決めていました。

 

 

それから1年後、早くもチャンスが訪れます。

 

「大阪市主催の交換留学で、姉妹都市のメルボルンに行けるよー」

「ただし、作文と面接で合格した市内の中学生だけだよー」 

そんなものでした。

 

当時の担任が今考えてもひどいんですが、この話を紹介しておきながら、いざ職員室に応募書類をもらいに行くと

 

「受けてもどうせ無理やで」

 

と言ってきたのです(゚Д゚;)

 

この発言で火がついた僕は、どんなに倍率が高くても受かってやる!と意気込み、結果無事合格。ざまーみろ担任(-"-)

 

中学3年の春休みに、晴れてメルボルンに行くことができました(・∀・)

 

 

地元の学校に通ったり、老人ホームでピアノを弾いたり、普通のホームステイとは一味違う体験をたくさんしました。

 

初海外と若さで感受性だけは最高潮。学校で習った英語がこんなに離れた地でも通じるんだ!と、当たり前なことにもいちいち感動していました。

 

まあ、こんな状態ですから海外に興味が出ないはずがありません。

 

高校時代は部活動の器械体操に夢中だったため一旦海外のことは忘れていましたが、大学では南極海の調査捕鯨に参加し、卒業後はインドネシアでエビ養殖をしている会社に入りました。

とにかく海外へ!世界を知らずに死ねるか!

 

そんな思いで20代を過ごしてきました。しかし、エビの会社は倒産しインドネシアへ行けず終い。。

 

その後は携帯会社や飲料会社で働き、海外とは無縁な仕事をしつつも、何か自分のスキルで海外へ行ける方法はないか?と道を模索する日々が続きました。

 
そんな中、ニュースで寿司職人養成学校の存在を知ります。和食がユネスコ無形文化遺産に登録されたことで、昨今寿司職人が世界中で引っ張りだこだと!しかも高級取りの道も望めると!

 

ようやく、29歳にして動き出します🍣

 

次回は寿司職人養成学校の一年をご紹介します。

捕鯨船「日新丸」から見た南極大陸

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